小田原城北ロータリークラブ会報 第1977号(2023年05月23日発行)
【R.I. 2780地区ガバナー】佐藤 裕一郎
【第9グループガバナー補佐】柴崎 正三
【副会長】大川 久弥
【幹 事】一寸木 芳行
【副幹事】澤田 大佑
【会場監督】木村 頼弘
本日の例会:通常例会(第2204回)
日時:2023年5月23日
司会:澤田 大佑 副幹事
12:30~ | 開会点鐘:櫻井康二 会長 ロータリーソング「手に手つないで」 スピーカー及びビジター紹介 慶時祝福 会長挨拶 幹事・委員会報告 出席・ニコニコ箱報告 |
13:00~ | 法曹界の最新事情について 東端克博(弁護士)様 |
13:30 | 閉会点鐘 櫻井康二 会長 |
【今後の例会・卓話スケジュール】
5月30 | イニシエイションスピーチ 大畠顕会員 |
6月6日 | 防災について 真壁様 |
6月13日 | 歴代会長スピーチ 大川久弥会員 |
6月20日 | クラブ協議会 執行部挨拶(最終例会) |
第2203回 通常例会(2023年5月16日分)
年月日 | 会員数 | 出席 | M.U | 出席率 |
---|---|---|---|---|
5月13日 | 41(34) | 20 | 2 | 68.41% |
5月9日 | 41(34) | 22 | 1 | 69.44% |
4月18日 | 41(34) | 19 | 1 | 64.10% |
【欠席者】大野英明、黄金井豊、長田英一、長田健吾、曽根友基、木村頼弘、小林和彦、上田博和、松本雅宏、須賀朋之、村上公規、田嶋崇之、山田浩嗣、大畠顕
【今回メーキャップ】上田博和、松本雅宏
【前回メーキャップ】上田博和
【前々回メーキャップ】上田博和
ニコニコ箱
年月日 | ニコニコ箱 | 累計 | 目標 |
---|---|---|---|
5月16日 | 10,000 | 458,798 | 800,000 |
本日のお客様
この度来日する城北RCの交換学生についてお話をして頂きました。
幹事報告 一寸木幹事より
ニコニコ箱
●櫻井 康二会長・・・〇報徳食品センターの本岡様、近藤様、本日は卓話をして頂きありがとうございます。よろしくお願い致します。〇国際ロータリー第2780地区 青少年交換委員会 委員長 新井智代様、小田原城北ロータリークラブにお越し頂きありがとうございます。本日はよろしくお願い致します。
●清 康夫さん・・・昨日の夕方6時より箱根湯本の右近にて姪の友人(宮路オサム夫妻)と私たち夫婦を含めて合計11名にて食事会をしました。とても楽しい3時間を過ごしました。(彼は昔、小田原の宮小路で流しをしていたとの事)それで宮路とネームにしたそうです。卵かけご飯の歌がだいぶ有名です。
●内山 修一さん・・・誕生日の祝をありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
大川 久弥さん・・・新井委員長ようこそ。1年間、青少年交換でお世話になりますがよろしくお願いします。
●須藤 公司さん・・・藤沢南ロータリークラブ新井様ようこそ城北RCへ。パトリシア君よろしくお願いします。又、本日の報徳食品センター本岡理事長様、近藤様、卓話をよろしくお願いします。
●澤田 大佑さん・・・新井様、ようこそ城北RCへ!ローターアクト地区大会ではお世話になりました。またお会いできて嬉しいです。
会長あいさつ 櫻井康二 会長
皆様こんにちは、本日はロータリーソングについてお話しさせて頂きます。例会の時に歌う風習は、1907年にシカゴロータリークラブで始まりました。「親睦」か「奉仕」かの大論争でぎすぎすした雰囲気を和らげようとハリー・ダグラス(5人目の会員)が音頭をとって歌い出したのが始まりでした。当時はロータリーソングなんてまだありませんので、民謡や当時の流行歌が歌われたそうです。
日本語オリジナルのロータリーソングは1935年(昭和10年)5月の第70地区大会(京都)を祈念して募集され、4作品が当選されました。第1位は「旅は道づれ」という作品でしたが、作曲の一部に盗作があった為、後に失格となり、第2位の「奉仕の理想」が、第1位に繰り上げ当選になったそうです。第3位の作品は現在ロータリーソングなっていません。第4位が「我らの生業」でした。
さて、繰り上げ当選で第1位になった「奉仕の理想」ですが、実は、この曲を作詞した京都RCの前田さんの原詩は、「御国に捧げん」ではなく、「世界に捧げん」だったのです。当時の村田省蔵さんというガバナーは国枠主義的な考えを持った方だったようで、この「世界に捧げん」を「御国に捧げん」と変えなければ当選は無効と宣言したので、前田さんは泣く泣く承諾したのだそうです。前田さんは後に亡くなる前、「もし出来る事なら、いつの日にか原詩の「世界に捧げん」に戻して頂ければありがたい」と遺言されたそうです。↗
↘「御国」という言葉に変えたのは、英語が敵性後とされ、米国由来のロータリーに世間の冷たい目が向けられようとしていた時代に、ロータリーの組織を守ろうとする苦肉の策だったかも知れません。実際、この「奉仕の理想」が発表された昭和10年の5年後には日本のロータリークラブは国際ロータリーを脱退し、解散を余儀なくされることになります。
そうしたロータリーの苦難の時代を耐え抜いたこの歌の歴史は尊重しなければなりませんが、この歌の「御国」を「世界」でも「地域」でも「社会」でも自由に置き換えて歌っても構わないと私は思います。
以上で会長挨拶とさせて頂きます。