ロータリーの歴史
ロータリーのはじまり
世界初の奉仕クラブ、米国イリノイ州のシカゴ・ロータリー・クラブは、1905年2月23日、ポール・ハリスによって結成されました。ハリスは、少年期に過ごした小さな町で感じたのと同じ友愛の精神を、専門職業人の集まるクラブで再現したいと望んだのでした。「ロータリー」という名前は、会員の仕事場を持ちまわりで会合を開いていた初期の慣習に由来しています。 ロータリーの評判はあっという間に広がり、その後10年間に、サンフランシスコとニューヨークをはじめ、カナダのウィニペグにもクラブが結成されました。1921年までに6大陸にロータリー・クラブが結成され、その1年後、この組織は「国際ロータリー」と名づけられました。
1905年 | 世界初の奉仕クラブ、米国イリノイ州のシカゴ・ロータリー・クラブは、1905年2月23日、ポール・ハリスによって結成されました。 |
---|---|
1907年 | シカゴ・ロータリー・クラブが、市内に公衆トイレを設置する。これが同クラブ初の社会奉仕プロジェクトとなる。 |
1910年 | ポール・ハリスが、最初の年次大会において、全米ロータリー・クラブ連合会の初代会長として選ばれる。 |
1911〜13年 | カナダ、英国、およびアイルランドにクラブが結成され、組織の名称が国際ロータリー・クラブ連合会と改称される。 |
1916年 | キューバにクラブが創立され、英語圏外で初めてロータリー・クラブが結成される。 |
1917年 | アーチ・クランフ会長が、ロータリー財団の前身である基金の設立を提案する。 |
1945年 | 49名のロータリアンが国連憲章の起草に貢献する。 |
1947年 | ロータリーの創始者、ポール・ハリスが逝去し、大学院奨学金(フェロー)プログラムの設置のためにロータリアンから多くの資金が寄せられる。 |
1947〜48年 | 18名のロータリー・フェローが初めて海外留学を果たし、これが後に国際親善奨学金となる。 |
1962年 | 初のインターアクト・クラブが米国フロリダ州メルボルンに結成される。世界社会奉仕プログラムが発足する。 |
1965年 | 特別補助金(後に同額補助金となり現在マッチング・グラントと呼ばれる)および研究グループ交換プログラムが開始される。 |
1968年 | 初の口ーターアク卜・クラブが米国ノースカロライナ州シャ一口ッ卜で結成される。 |
1979年 | mJ万のフィリピンの児童にポリオの予防接種を施すための財団補助金がポリオ・プラスの創設のもととなる。 |
1985年 | ロータリーがポリオ・プラス・プログラムを発足し、世界のすべての児童に予防接種を行うために米貨1億2,000万ドルの募金キャンペーンを開始する。 |
1987年 | 初めて女性がロータリーに入会する。 |
1988年 | ポリオ・プラス・キャンペーンで、口ータリアンが米貨2億4,700万ドルを募金する。 |
1989年 | ロータリーがハンガリーとポーランドに復帰する。 |
1994年 | 西半球がポリオ無発生地域と宣言される。 |
1999年 | 平和および紛争解決の分野における国際問題研究のためのロータリー・センターが設立される。 |
2000年 | 西太平洋地域がポリオ無発生地域と宣言される。 |
2002年 | ヨーロッパがポリオ無発生地域と宣言される。深刻な資金不足を補うため、ロータリーが2回目のポリオ撲滅募金キャンペーンを開始する。口ータリアンが米貨1 億2,900万ドルを集める |
2005年 | 世界中のクラブが口ータリーの創立百周年を祝う。 |
2006年 | ポリオの常在国が、アフガ二スタン、インド、ナイジェリア、パキスタンの4カ国を残すのみとなる。 |
2007年 | ロータリー財団が100万人目のポール・ハリス・フェ口ーを認定する。 |
2007〜2009年 | ゲイツ財団よりポリオ撲減を目的として、ロータリーに米貨3億5,500万ドルのチャレンジ補助金が授与される。 |
2010年 | ロータリー財団が、未来の夢計画の3年間の試験段階を開始する。 |
日本のロータリークラブの歴史
日本で長初のロータリークラブは、1920 (大正9) 年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1 日に世界で855 番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟承認されました。日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940 年に同際ロータリーから脱退。戦後1949 年3 月に復帰加盟します。
その後の日本のロータリーの拡大発展には目覚ましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。
1920 | 日本最初のロータリークラブとして、東京ロータリークラブ、が誕生。 |
---|---|
1923 | 聞東大混災に対し、国際ロータリーならびに海外のクラブから多額の見舞金が届く。 |
1926 | 大阪で第1回日本ローターリークラブ連合懇親会が開催される。 |
1928 | 日本に第70 区設定(満州を合む)、初代ガパナーに米山梅吉氏が就任する。 |
1929 | 京都で、第1 回第70区大会が開催される。 |
1931 | 京都で第1回地区協議会が開催される。 |
1935 | ポール・ハリス夫妻が1934 -35 年度ロパート・ヒル国際ロータリー会長とともに来日する。 |
1935 | 日本語のロータリーソング(4 篇)人選発表。 |
1935 | 地区年次大会前に、懇談会を開催の慣行はじまる。 |
1936 | 大阪でニコニコ箱の実施が始まる。 |
1938 | 第70 地区機関誌として『国際ロータリー月報』発刊。 |
1939 | 日満ロータリー連合会結成 |
1939 | 日本の地域が第70 地区から第70、71 、72 と、3 地区に分割される。 |
1940 | 戦前最後の地区年次大会が開催される。 |
1940 | 臨時総会で、国際ロータリー脱退を決議。 |
1946 | 米山梅吉氏、福島喜三次氏逝去。 |
1949年 | ジョージ・ミーンズ事務総長来日。日本の国際ロータリー復帰が承認される。国際ロータリ一第60地区として指定される。 |
---|---|
1950年 | 復帰後第1回の第60地区大会を京都で開催。 |
1965年 | 日本からのロータリー財同奨学生第1 号・清水長一氏がコーネル大学へ留学。 |
1951年 | ・日本からのロータリー財団奨学生女性第1号・緒方貞子氏がジョージタウン大 学へ留学。 ・海外からのロータリー財団奨学生第1号ビュートー君が、東京大学に入学。 |
1951年 | 海外からのロータリー財団奨学生第1号ビュートー君が、東京大学に入学。 |
1952年 | 7月から第60区を分割。第60区と第61区の2地区となる。 |
1953年 | 1月に『ロータリーの友』創刊。 |
1953年 | 東京RCにてロータリー米山記念奨学金制度を発案実施する。 |
1962年 | 東京国際大会が開催される。参加74か国、2万3,366人を数え、新記録をつくる。 |
1963年 | 日本で初めてのインターアクトクラブが宮城県の仙台育英高校(現仙台育英学園高校)に創立される。 |
1968年 | 日本で初めてのローターアクトクラブが埼玉県の国際商科大学に創立される。(現川越RAC) |
1970年 | 日本のロータリークラブ数が1,000を超え、ロータリアンが5万人を超える。 |
1970年 | 大阪万国博開催。会場内にて、例会を開催。出席者総数23,300人に達した。 |
1970年 | 日本ロータリー資料宅(現ロータリー文庫) 設立。 |
1975年 | 『The Rotary-no-Tomo』(『友』英語版)創刊。 |
1978年 | 東京国際大会が開催され、参加国95か国、3万9,834人を数え、新記録をつくる。 |
1980年 | 『ロータリーの友』が公式地域雑誌 (現ロータリ一地域雑誌)に指定される。 |
1981年 | 国際ロータリー事務局日本支局(国際ロータリ一日本事務局)が開設される。 |
1982年 | 7月、向笠廣次氏が、国際ロータリー会長に就任する(日本からは二人目) |
1986年 | 日本の会員数が10万人を突破する。 |
1988年 | 広島で第4回ロータリー平和会議が開催される。 |
1989年 | 女性会員の入会が認められ、第2500地区・北海道清水(現、清水)RCに日本初の女性会員が入会する。 |
1995年 | 阪神・淡路大地震が起こり、国内外から多くの救済物資が届く。 |
1996年 | 元ロータリー財団奨学生の緒方貞子氏が、ロータリー国際理解賞を受賞する。 |
2002年 | 平和および紛争解決の分野における国際問題研究のためのロータリー・センターが、国際基督大学に設立される。 |
2004年 | 日本で3回目の国際大会が、大阪で開催される。登録数は43,381人。 |
2005年 | ロータリー創立100周年を記念して、日本国内でも、さまざまな社会奉仕プロジェクトを実施。 |
2006年 | 2006年12月末の日本の会員数が10万人を切る。 |