第1813回例会の卓話:藤沢の光妙寺の柴山香奈様の卓話「絆について」

小田原城北ロータリークラブの2013年9月17日の例会において、藤沢市の光妙寺のご住職 柴山香奈 様に卓話を頂きました。
 
以下、卓話の内容を要約して掲載させていただきます。

「絆について」

光妙寺住職
柴山 香奈 様
「なぜあなたのように若い女性がお坊さんに?よほど辛いことがあったのですか?」とよく聞かれます。でも私は健康で幸せいっぱいの日々を過ごしています。
両親は学生結婚で若い頃に私が生まれましたが、3歳で父に捨てられ母子家庭になりました。その時に私と母を引き受けてくれたのが、母の実家であるお寺の住職でした。大切に守られて育てられ、不幸だと思ったことも不自由したことも一度もありません。18歳の時、税理士になろうかと成城大学に入りました。しかし大学に入って気付いたのは、自分がお寺や住職に守られてきたこと。このまま幸せに暮らすためにも、世話になった住職に恩返しをするためにも、お坊さんになろうと決意しました。18歳で出家して20歳には本山に入り、21歳の時には正式に日蓮宗僧侶・教師のお免状をいただきました。大学卒業と同時に立正大学宗教学部宗教学科に入学しました。昼間はお寺で働き、夜間は大学に通い勉強しました。お寺には大住職・祖母・母・養女にしてくれた伯父(義父)がいて毎日幸せでした。私は自分の進みたい道に進むことができ、日々敬愛するお釈迦様のもとで過ごすことができるのは最上の喜びだと思いました。その日々が永遠に続くと信じていました。
でも私が26歳の時、可愛がってくれた大住職が90歳で亡くなり、その3ヶ月後に義父が52歳の若さで急死しました。ちょうどお寺の建て直しをしたばかりで、私に残されたのは光妙寺と檀家さんと莫大な借金でした。正直どうしていいか分からず、諦めてお寺を手放そうかと思った時、檀家さんたちが来て「私たちはあなたのお祖父さん、お義父さんにお世話になった。苦しい時に助けてもらった。今度は我々があなたを助けるから、頑張って住職を勤めなさい」と力づけてくれました。「一人じゃないから」と言われ、その時気付きました。
私は二本の脚で立っているがそれだけでは無理だと。大勢の人に支えられ、新たな一歩を決意しました。
しかし簡単に住職になれる訳ではありません。本山の認証も必要です。翌年日蓮宗の大本山・身延山に住職の認証を受けに行きました。何十人もの方が住職になるために集まっており、私が最年少で女性で末席です。光妙寺の檀家さんが何十人もマイクロバスで応援に来てくれて、どれだけ勇気づけられたか!借金に関しても、自分の土地を担保にと言ってくださる檀家さんもありました。そこで頑張らなければ女がすたります。
私は今36歳。十年間がむしゃらに走って借金も完済し、檀家さんも増えました。四人の子供も産みました。本当に辛いスタートを切りましたが、今ここまで走りきることができました。支えてくれていた祖母も母も亡くなりました。母は56歳で正直早い別れでしたが、悲しんでいる暇がないくらい忙しくここまで来ました。決して一人で頑張った訳でなく、多くの人が支えてくれ、道を作ってくれ、息切れした時には水を差し出して優しい声をかけてくれました。本当に人というのは一人では生きていけないと実感しました。幸せは砂漠で砂金を掴むようなもの。奇跡のようなものです。砂をすくってすくってすくって、ようやく見つかる金の粒です。その金もあっという間に指の間から零れ落ちてしまいます。育ててくれた母に恩返ししたいと思っていましたが、ようやく恩返しできると思った瞬間に亡くなってしまいました。でも多くの人に支えられ、ここまできた私は恵まれていると思います。
先ほど皆様と名刺交換をしてご縁をいただきました。ご縁は簡単に結べますが、それだけでは強い絆は結べません。自らの心を開いて一歩自分から踏み込んでいかないと絆は生まれないのです。偶然ご縁を持てた人と絆を結ぶことができたら、それは永遠のご縁になります。
永遠のお別れの時、私はそこでお経を読みます。お釈迦様の永遠の命についてのお経「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」が大好きです。
『自分の姿かたちは滅び無くなるけれども、自分の魂は永遠に存在する。ですから強く求めなさい。強く求めればそこに自分の魂は寄り添います』と説いていらっしゃいます。それはお釈迦様だけの話ではなく、全ての人に当てはまると思います。皆さん忙しく予定に追われる毎日で、明日がある、来週がある、来年があることを当然と思って生きてらっしゃることでしょう。でも明日が来るのは当然のことではないのです。生きているのは非常に多くの命の上にのった、かけがえのないものなのです。そして命が終わっても魂が残ります。私を知っている人がいる限り、その方の中で私は生きていけると信じています。皆さんもお別れした方を忘れずに心に強く思えば、訪れてきてくれます。姿かたちが滅びても、二度と会うことができなくても、魂は存在し大切な方のことを見守り寄り添い続けるのです。人の死は二度訪れます。一度目は肉体の終わりの時、二度目は残された方に忘れられる時。二度目の死は防げます。生きている我々が、絆を結んだ方のことを忘れなければ、永遠に我々の中で生き続けるのです。そう思っている限り、一日一日を大切に生きていけるのではないでしょうか。
皆さんも、知り合ったすべての方に感謝し、自分を支えてくれる方に感謝し、二本の脚で立って息をして生きているこの瞬間に感謝し、人間らしく生きてほしいと思います。

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